タクシーに乗って最初に行ったのは確か菁莪記念館という竹中氏の功績を記念したところだったと思います。ただ残念なことにここは土日しか開いていないということで、しかもこの土日(15,16日)は臨時休館というはり紙が。okamelがゆかりの地について調べたときこの記念館までは見つけ出せませんでしたので、ちょっと残念。今度機会があったら土日に一人で行けたらと思っています。そのあと竹中氏陣屋跡という、半兵衛の子の重門が築いた建物のところに行って記念撮影。そこの写真、載せてもいいんですが夫が余り自分の載った写真を載せるのをよく思わないものですから、出せません…。そしてその陣屋跡にあるのが、この半兵衛の銅像です。
結構大きかったです。それにしても見た目婦人の様に穏やかだったと書かれているのに、これは?という感じ…あと、享年36歳(数え)にしてはちょっと老けている?多分昨日載せた看板にも描かれている肖像画を基に作ったのではないでしょうか。半兵衛の肖像画は他にもあるんですが、基本的に垂井で見かけたのはこの甲冑姿のものだけでした。そのほかの肖像画は着物姿なんですね。「武士ならば戦場で死にたい」と言った(そして実際陣没した)半兵衛の気持ちを尊重したのでしょうか。
そのあと、半兵衛の墓のある禅幢寺に行きました。お墓の前では完全に号泣です。泣き崩れちゃいました。京都から米原に向かう電車の中で折った折鶴を供えてきました。数えとはいえ半兵衛の享年は36(今の年齢で行けば35歳になる少し前に亡くなっています)、そして実はokamelが来年36なんです。その分、前回とは違う思いがありました。この数、okamelにとって何とも言えない数です…本当に戦国の世、駆け抜けてしまったんだなあと思うと今でも涙が止まりません。そのお寺、半兵衛が開基なんですが、こういうことになっておりました…
これがまたokamelには非常にショックでした。もちろんその場でいくらか御喜捨してきましたが、後日またさせていただこうと思っている次第…
次回は垂井での予定外のメインイベントについて書こうと思います。では今回はこの辺で。
5 件のコメント:
昔の人は今の人の年以上に老けていたんだと思います。
大人として扱われる年が早いし。寿命も短いし・・・。
現代人の苦労よりすごい苦労してると思うし。
駆け抜けた人生だったんでしょうね・・。
半兵衛は肺の病(肺炎か肺結核らしいですが、よく言われるのは肺結核)で亡くなったと言われています。播磨出陣中に様態が悪化して京都で療養する様に言われたとき、一度は行ったものの死期を悟って戦場に戻ったという説と、「武士ならば戦場で死にたいから」と断ったという説があります。吉川英治の新書太閤記は前者を使っていますが、あまりに流れが劇的で泣けます。機会があったらぜひご一読を。
実にokamelさんらしいご旅行ですね‼
私は、徳川家康の側近のお墓巡りをしに
ひとり旅したことが。
その地にふれると、
独特の空気が残ってるような気がして
不思議です。
でもって、
前回のイイ女は、まさかご本人!?
おお、きんととさんもそういう旅行がお好きなんですね。本当に何だか、独特の空気がありますよね。家康の側近って、徳川四天王ですか?okamelは家康の家臣と言えば本多忠勝が一番印象に残っているんですが。
確かにokamel本人ですが…どこが!きんととさんのほうがよほどイイ女ですよ!
(この前の削除履歴、一度返事を書いたんですが一部書き間違えたためにしたものです)
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