昨日(というか今朝)、たまたまちょっとラジオをつけたら、面白いことを聴いてしまいました。前後を聞いていないので何がメインなのかはよくわからないのですが、ひとつはインターネットの普及で感性が失われつつあるのではないかということ。一つの事を得るまでに時間がかからない分、感動がなくなったということらしい。それとそれまでの過程での「出会い」もなくなり、それは無駄といわれる、けれどもそれは本当に無駄なのか、そして無駄は悪いことなのかということらしい。それで例として挙げられたもうひとつのお話が面白かったのですが、それはあるテストでのお話。問題は「本能寺の変で織田信長を殺したのは誰でしょう」という問いに、ある生徒が書いた答えは「ぼくではありません」。で、×にされて、親が先生に「なぜちがうんだ」とつめよったということ。確かにこの回答は間違いではない、ではなぜ×なのか、と考えたのだが、これもひとつの無駄といわれるかもしれないけれども、いいではないか、という感じだったと思います。このお話(「ぼくではありません」と回答したこと)のとき会場のお客さんが笑ったといっしょにokamelも笑ってしまいました。こういう回答、大好きです。自分なら最低三角をつけますかね。「名前をかけ」ならよかったのかな…でも思い起こしてみると、「名前を書け」という問題ってなかったですか…
で、okamelも「無駄」って結構好きだったりします。学生時代はコピー料金の節約のために、よほどの量でなかったら本はすべて書き写しておりました。ひとによってはこれも「無駄」かもしれませんが、これをやったおかげで頭に内容がよく入っていた気がします。それはともかく、「無駄」を通すことで「これはやはりよくなかったかな」「うん、これはありだったかも」という何かしらの結論に結びつきますからね。okamelもまだまだの域ながら、イラストをこういう感じで描くまで、それこそ多くの無駄がありました。でも「無駄」を糧にするならそれはそれでいいことではないかと。今周りを見ていると、金銭的にも人の心にも、その余裕がなくなってきているのかなと。なのでokamel、乗り物でよく「○○分短縮」というのを聞くと世の中窮屈になっていくなあと思ってしまうのであります。寝台特急がなくなるニュースはとくにそうでした。
〆はokamelの神様、半兵衛さんが言ったといわれる言葉で。どこで読んだか、厳密にはどうだったか忘れてしまったのですが…
「人はやたらと勝ち戦の話ばかりを聞きたがる。負け戦の話を聞くことこそ本当は大切なのだが」
(この最後の部分、もしかしたら「聞くことも大切」だったかもしれません)
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