5.9.22

温かいドラマだったのは確かかも

  昨日古谷さんの件に関するニュースを読んでいたら、半兵衛は大河ドラマ「秀吉」の半兵衛が一番好きだったという意見が結構あって、割と以外であると同時に、わかる気もするという感じでした。自分の場合その頃にはもう結構半兵衛さんという人がどういう人物かかなり本で読んでいましたので、それとの食い違いによる当惑のほうが大きかったのですが、あまり知らない方にとってはああいった温かい人物は魅力的だったろうなあと。というか、これもコメントにありましたが、確かにあのドラマは全体的にほんわか感が漂うものだったかなと。何せ信長が渡哲也さんでしたし。すでに半兵衛さんが病魔に侵されていた時に信長が「あと(寿命は)どれくらいだと思う」と聞いてきて、あまり長くないと思うと答えると信長が「半兵衛、生きよ」(確かそういうセリフだった)と言ったシーンが印象的でした。今はそのお二人とも、という話。

 では半兵衛さん俳優として、史実に一番近いイメージだったのではないかなというのは、(多分)一番最近の谷原章介さんですね。見た目の年齢(実際年齢は自分知りません)やら雰囲気やらがばっちりでしたし、録画でしかも部分的にはなりますが、ドラマを見た範囲では、感情が読みにくい感じがまさにという感じでした。実際の半兵衛さんは、いくらか史実かどうかわからない部分もありますが、自分が正しいと思ったら命令にたがうことを結構やっていますので、配下としてはなかなか扱いにくい部分があったのではないかと思います。ただ無欲だったのは確かで、三木でもらった知行も「(確か戦によるものと自分の病気による身の回りの世話などで)迷惑をかけたから」と全部地元の民に返したということで、それで今も命日に「竹中田」(半兵衛さんが民に返した知行地の一部だったはず)からの収入で法要が行われているということでした。三木で伺ったのだったか、垂井の禅幢寺で伺ったのだったか。

 ともあれ、まあドラマは史実ドキュメントではないと割り切るのであれば、古谷さんのような父親的半兵衛があってもまあいいのかなという。ただ時代考証を担当する専門家にとってはこのあたりが難しいようで、別の大河ドラマで担当された自分の大学の教授は「本当はこうではないのに…」と随分悩まれていたということで、生徒の間でとても評判の良い(簡単に単位をくれるからというそういう方向の意味ではなく誠実さで)教授だったので、それを聞いて以来自分はちょっと大河ドラマは見づらくなりました。あまりに極端に離れるのはあれですが、かといってどれもこれも史実にできるだけ寄せてとなったら、似たり寄ったりになるというか、それこそ無双シリーズではないですがきつくなってきますからね。1つの出来事をいろいろな角度から作っていく(例えは戦国時代ものを織田サイドだけでなく浅井サイドや北条サイドなどから作っていくみたいな)のも一手段でしょうが、どうも北条ベースは地元はやりたいと思っている反面なかなかNHKがやってくれないという感じのようで。

 ということで、以前も何回か話したことをまた書いた形になりました。本当はイラストの下描きが1つできているのですが、こちらのブログではそのあと始めたものと合わせて次回載せることとします。今回はこの辺で。

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