13.9.09

三木墓参紀行 2

 今日の記事はいささか長くなりますが、御了承ください。

行ってみたらいわゆる寺という感じのいかつい建物はなく、ちょっとした立派な家の中にお寺がという感じでした。で、どこにお墓があるのかわからず、タクシーの人が地元の同僚(運転手さん自身はここのかたではないようでした)に電話で聞いたらその人もわからないということでその同僚の方が観光協会にまでといわせてくださっている間に、お寺の人に話してみましょうかといってくださったので、お願いしてみました。そうしたらこの住職さんがまた気さくな方で、お墓もあるし、位牌もあるということで、最初にその位牌を奥から出して見せてくださいました。半兵衛さん、実は戒名が2つありますが「深竜水徹~」は竹中家の宗派である禅宗(禅幢寺の宗派から考えると多分曹洞宗)の、そしてもうひとつのはここのお寺の宗派である浄土宗のものだったんです。で、その位牌の形式、城主クラスの方のものだということでした。住職さんのお許しを得て写真を撮らせていただきました。位牌の裏には「俗名 竹中半兵衛重治」と中央にかかれ、記憶があっていればその右側に「天正七年」、左側に「六月十三日」と命日も記されてありました(記されていたのは確かです)。

 photo CIMG3278-1_zps9eefda18.jpg

そして極めつけはここから。このお寺にあるお墓の由来、会って下さった住職さんは10年位前に明石から来られたそうなんですが、先代の住職さんから聞かれた話では、もともとのお墓があったであろうところはお寺の敷地ではなくその地域の庄屋さんのものだった(実際木立を挟んですぐ隣は今も別の方の敷地だそうで、そこにはその庄屋さんの累代のお墓がありました)のが、昔あるとき山が崩れて遺骨がでてきたのでびっくりしてお寺に聞いたらこれは半兵衛さんのものではないかという話になったとか。実際家臣団の陣があったのはその付近らしく、その住職さんが伝え聞いておられたところでは、平井のお墓は秀吉がお参りしやすいようにするための祭りの要素を主とするもので、こちらのお墓に遺体は埋められたのではないかということ。別にこういうお墓の形式(実際埋葬するところと祭祀的要素を持たせるところをわける)はこの一帯では珍しいことではなく、今も行われているんだそうです。それと、ちょうど地点的にも戦場が見張らせる位置にあるので、亡くなっても魂に戦を見守ってほしいという願いからそこに埋葬されたのではないかということなんですね。あと、表向き半兵衛さんの墓は平井のほうという話になっているので、万一敗れて荒らされるようなことがあったとしても、そうされるのは平井の方で本当の(安福田の)お墓はあらされる心配がないというのもあったのだろうというお話でした。これはokamel初耳だったのでかなり衝撃でした。ただ地元の史家の方々が実際に調査したわけではないのでしっかりとしたことはわからないということで、あまりこの説を信じる方も居られないらしいというちょっと悲しいお話も。こちらのお墓は調査も可能かと思いますが、もうひとつの平井のお墓は、あれだけ大きな木が盛り土から生えていたらちょっと難しいのではという気がします…okamel発掘調査を実地にしたことはないのでわかりませんが、あのような場合何か方法があるのでしょうか。でもお墓を発掘調査される半兵衛さんもたまらないのではという気が…。余談ですが実は官兵衛の福岡のほうのお墓と蒲生氏郷のお墓は発掘調査されているようですね。で、官兵衛のお墓の場合、福岡のほうはそれこそ祭る意味のお墓だったみたいで、氏郷のお墓は、埋葬されるとき刀を抱いた形だったらしいということが判明したそうです。
話を半兵衛さんに戻します。okamel的に気になったのは、この栄運寺さん、実は三木市のサイトによると元禄5(1692)年の開山なので、もし庄屋さんが聞いたお寺というのが栄運寺さんということなら、この山崩れ事件はそれ以降のお話ということになります。遺骨って、土壌の質にもよると思いますが、どれだけ残るのでしょう(半兵衛さんが亡くなったのは1579(天正7)年)。とはいえ、実際お寺の墓地からは結構離れた山奥にありましたので、遺骨が出てきた以上お寺の檀家さんとは関係のない誰かが埋められていたということは確かなわけで…。okamelはもちろんこういう話に対してこうだと言いきれる立場の人間ではありませんので、ここで細かいことをこれ以上言うつもりはありません。ただ戒名までつけてくださって祭ってくださっている以上、okamelとしてはこちらも他の垂井や平井のお墓同様、半兵衛さんのお墓として心にずっととどめ、大切にしたいと思います。ちなみにこのお墓については某本が別の話を書いておりますが、ここでは割愛します。
このこと以上にもっと悲しかったのは実際そのお墓にお参りさせてもらったときです。昨年垂井に行ったときは「熊に注意」があちこちでみられたわけですが、今回はマムシ。この時期はメスがおなかに子を抱えている時期で一番危ないということで、住職さんが何とお墓まで案内してくださったのです。で、まずこのお墓への山道、蜘蛛の巣だらけ。いかにお参りする人が少ないかという話になります…そして極めつけは、墓石が崩れていた!一番上に安置されていないといけない墓石が落ちてしまっていたんです。住職さんが一見して「これは下3つより上の石の並びがおかしい」ともおっしゃっておられました。墓石にはしっかり半兵衛の戒名と命日が書かれて居りました。山の中なのでということで1本だけ線香を手向けさせていただきました。そしてこの横にもうひとつ塚がありまして、これは馬塚といって半兵衛さんの乗っていた馬が埋葬(死んで埋葬されたのか「殉死」させられたのかはわからないとのこと)されているといわれているそうです。
左から半兵衛さんの墓遠景、馬塚(某本によると「半兵衛塚」となっております)、そしてお墓の接写(よく見ると戒名と命日が書かれております)です。 

 photo CIMG3280_zpsfda1d8c3.jpg  photo CIMG3282_zps091967d0.jpg  photo CIMG3281_zps44974c2c.jpg

実はこのお墓、よく見ると角がかけていた(実は住職さんに教えられて初めて気づいたにぶいokamel(苦笑)…)のですが、これまた理由が。ある時期このあたりに博打がはやり、お墓の角を持っていると勝つといううわさが広まって、そうなってしまったそうで。別に半兵衛さんのお墓のをというわけではなくてどのお墓でも良かったらしい…。何という迷信。逆に罰が当たって負けそうな気がしますが…
タクシーの運転手さんと住職さんのおかげで本当にいい経験ができました。そして今日という日にこういう導きを与えてくださった(と信じたい)半兵衛さんに改めて感謝のokamelなのでありました。

2 件のコメント:

しーな さんのコメント...

きっと導いてくれたんですよ。
okamelさんにお墓参りしてほくて、そしてお話してる住職さんに会わせたくて。
いいお墓参りができてよかったですね。

okamel さんのコメント...

この日は最初行動しやすい服装にしようかと思ったのですが、考えた結果ほぼ正装の格好で行きました。長袖でしたが、それでも暑くてたまらないと言うことはなかったです。それに前回の垂井のような山登りもなかったので(裏山のお墓に行くとき山道を通った程度)自分としてはよかったなと思っています。
お墓は、本当に直してあげたかったですが、俗人の自分が勝手に触っていいものかどうかもありましたし、万一もっと大変なことをしてしまったらいけないので、すごく心苦しくはあったのですが、そのまま…。
この日は一生忘れないでしょうね。住所がわかったら栄運寺さんに年賀状を書かせていただこうと思っています。