三木墓参旅行から1週間。早いものです。今もあのときの感動と言うか何というかは忘れておりません。
で、このブログに掲載されている写真をクリックしていただくとこちらでカウントが確認できるようになっているのですが、今のところこのシリーズ(?)で一番多くクリックされている写真は、何と平井にある半兵衛さんのお墓への道路標識!多分何が写っているのかわかりにくいからでしょう。これは神鉄恵比須駅から県道をお墓に向かって進むと見つかるものですが、もちろん逆方向から来ても標識はあります(公民館側から確認しました)。この標識さえ見つかればほぼ一本道で目の前にお墓を囲む白壁が見えてきますので迷うことはありません。
okamel的にちょっと残念だったのは御位牌の写真。かなりピクセルは高めに設定したのですが、何しろ古い御位牌で直目でも戒名が確認しづらい状態だったので、やはりよく写っていませんでした…ちなみに何と書いてあるかと言いますと「浄源院殿霊誉道覚居士」です。お墓の接写ですとこれが何とかわかります。ちなみに荒木村重は3つ戒名があるそうです。これも全て宗派が違う故でしょうか。
今日明日はちょっとイラストに専念できそうにないので、昨日触れたイラスト、恐らく日曜以降のupとなると思います。まだ半兵衛さんの服しか塗れておりませんので、もう少しあとになるかもしれませんが。
14.9.09
三木墓参紀行 3
今日は番外編。
この旅に使ったのは山陽本線、加古川線そして神戸電鉄粟生線だったわけですが、単線に乗ったのは昨年の高山本線以来かもしれません。時々ばさばさっという音を立てて。そして線路からも、三木を歩く間も周りには多くの水田。大分稲穂がたれていて、案山子や黒いビニールもたくさんあって。Okamelの住んでいる周りにも水田は多いのですが、案山子やビニールは見かけません。恐らくあちらのほうが飛んでくる鳥が多いのでしょう。何だかんだ言って、当地は水田があるといっても小規模のが散らばってあるという感じなので人家が近いし、すぐ横は車がかなり通る国道ですし、高層住宅も多いし。そして白鷺を良く見かけました。Okamel今自分がちょっとずつ書いている小説もどきで、秀吉に「普段のそなた(半兵衛)は白鶴か白鷺」と言わせているものですから、なんとなくこれがまたうるうるの要素になってしまうのでありました。
で、そういうところを走るのに、こういうデザインの電車が走るわけでありますね…これは帰りに、降りたホームの反対側にいた加古川線です(於加古川駅)。

このデザインばかりと言うわけではなく、普通のもあれば、派手ながら少しまだましかなと言うのもあるのですが、こればかりは…夜見たくありません。そしてこれは平井の半兵衛さんのお墓を離れて本陣に向かったものの見つけられずとぼとぼ来た道を戻っていたとき見つけたどんぐり。

久々に見ました。そういえば安福田のお墓への山道には毬栗らしきものが落ちておりました。秋だなあ、と…。一方ではいまだにミーンミンミンという声が聞けました。当地はもうシュイーシュクシュクも殆んど聞けなくなっているのに。ちなみにその日の三木の最高気温は27度だったようです。500mlのペットボトルの水を持っていったのですが、足りなかったですね。途中自動販売機で清涼飲料水1本買い、駅前のコンビニでもう1本500mlの水を買いました。
この旅に使ったのは山陽本線、加古川線そして神戸電鉄粟生線だったわけですが、単線に乗ったのは昨年の高山本線以来かもしれません。時々ばさばさっという音を立てて。そして線路からも、三木を歩く間も周りには多くの水田。大分稲穂がたれていて、案山子や黒いビニールもたくさんあって。Okamelの住んでいる周りにも水田は多いのですが、案山子やビニールは見かけません。恐らくあちらのほうが飛んでくる鳥が多いのでしょう。何だかんだ言って、当地は水田があるといっても小規模のが散らばってあるという感じなので人家が近いし、すぐ横は車がかなり通る国道ですし、高層住宅も多いし。そして白鷺を良く見かけました。Okamel今自分がちょっとずつ書いている小説もどきで、秀吉に「普段のそなた(半兵衛)は白鶴か白鷺」と言わせているものですから、なんとなくこれがまたうるうるの要素になってしまうのでありました。
で、そういうところを走るのに、こういうデザインの電車が走るわけでありますね…これは帰りに、降りたホームの反対側にいた加古川線です(於加古川駅)。
このデザインばかりと言うわけではなく、普通のもあれば、派手ながら少しまだましかなと言うのもあるのですが、こればかりは…夜見たくありません。そしてこれは平井の半兵衛さんのお墓を離れて本陣に向かったものの見つけられずとぼとぼ来た道を戻っていたとき見つけたどんぐり。
久々に見ました。そういえば安福田のお墓への山道には毬栗らしきものが落ちておりました。秋だなあ、と…。一方ではいまだにミーンミンミンという声が聞けました。当地はもうシュイーシュクシュクも殆んど聞けなくなっているのに。ちなみにその日の三木の最高気温は27度だったようです。500mlのペットボトルの水を持っていったのですが、足りなかったですね。途中自動販売機で清涼飲料水1本買い、駅前のコンビニでもう1本500mlの水を買いました。
13.9.09
三木墓参紀行 2
今日の記事はいささか長くなりますが、御了承ください。
行ってみたらいわゆる寺という感じのいかつい建物はなく、ちょっとした立派な家の中にお寺がという感じでした。で、どこにお墓があるのかわからず、タクシーの人が地元の同僚(運転手さん自身はここのかたではないようでした)に電話で聞いたらその人もわからないということでその同僚の方が観光協会にまでといわせてくださっている間に、お寺の人に話してみましょうかといってくださったので、お願いしてみました。そうしたらこの住職さんがまた気さくな方で、お墓もあるし、位牌もあるということで、最初にその位牌を奥から出して見せてくださいました。半兵衛さん、実は戒名が2つありますが「深竜水徹~」は竹中家の宗派である禅宗(禅幢寺の宗派から考えると多分曹洞宗)の、そしてもうひとつのはここのお寺の宗派である浄土宗のものだったんです。で、その位牌の形式、城主クラスの方のものだということでした。住職さんのお許しを得て写真を撮らせていただきました。位牌の裏には「俗名 竹中半兵衛重治」と中央にかかれ、記憶があっていればその右側に「天正七年」、左側に「六月十三日」と命日も記されてありました(記されていたのは確かです)。

そして極めつけはここから。このお寺にあるお墓の由来、会って下さった住職さんは10年位前に明石から来られたそうなんですが、先代の住職さんから聞かれた話では、もともとのお墓があったであろうところはお寺の敷地ではなくその地域の庄屋さんのものだった(実際木立を挟んですぐ隣は今も別の方の敷地だそうで、そこにはその庄屋さんの累代のお墓がありました)のが、昔あるとき山が崩れて遺骨がでてきたのでびっくりしてお寺に聞いたらこれは半兵衛さんのものではないかという話になったとか。実際家臣団の陣があったのはその付近らしく、その住職さんが伝え聞いておられたところでは、平井のお墓は秀吉がお参りしやすいようにするための祭りの要素を主とするもので、こちらのお墓に遺体は埋められたのではないかということ。別にこういうお墓の形式(実際埋葬するところと祭祀的要素を持たせるところをわける)はこの一帯では珍しいことではなく、今も行われているんだそうです。それと、ちょうど地点的にも戦場が見張らせる位置にあるので、亡くなっても魂に戦を見守ってほしいという願いからそこに埋葬されたのではないかということなんですね。あと、表向き半兵衛さんの墓は平井のほうという話になっているので、万一敗れて荒らされるようなことがあったとしても、そうされるのは平井の方で本当の(安福田の)お墓はあらされる心配がないというのもあったのだろうというお話でした。これはokamel初耳だったのでかなり衝撃でした。ただ地元の史家の方々が実際に調査したわけではないのでしっかりとしたことはわからないということで、あまりこの説を信じる方も居られないらしいというちょっと悲しいお話も。こちらのお墓は調査も可能かと思いますが、もうひとつの平井のお墓は、あれだけ大きな木が盛り土から生えていたらちょっと難しいのではという気がします…okamel発掘調査を実地にしたことはないのでわかりませんが、あのような場合何か方法があるのでしょうか。でもお墓を発掘調査される半兵衛さんもたまらないのではという気が…。余談ですが実は官兵衛の福岡のほうのお墓と蒲生氏郷のお墓は発掘調査されているようですね。で、官兵衛のお墓の場合、福岡のほうはそれこそ祭る意味のお墓だったみたいで、氏郷のお墓は、埋葬されるとき刀を抱いた形だったらしいということが判明したそうです。
話を半兵衛さんに戻します。okamel的に気になったのは、この栄運寺さん、実は三木市のサイトによると元禄5(1692)年の開山なので、もし庄屋さんが聞いたお寺というのが栄運寺さんということなら、この山崩れ事件はそれ以降のお話ということになります。遺骨って、土壌の質にもよると思いますが、どれだけ残るのでしょう(半兵衛さんが亡くなったのは1579(天正7)年)。とはいえ、実際お寺の墓地からは結構離れた山奥にありましたので、遺骨が出てきた以上お寺の檀家さんとは関係のない誰かが埋められていたということは確かなわけで…。okamelはもちろんこういう話に対してこうだと言いきれる立場の人間ではありませんので、ここで細かいことをこれ以上言うつもりはありません。ただ戒名までつけてくださって祭ってくださっている以上、okamelとしてはこちらも他の垂井や平井のお墓同様、半兵衛さんのお墓として心にずっととどめ、大切にしたいと思います。ちなみにこのお墓については某本が別の話を書いておりますが、ここでは割愛します。
このこと以上にもっと悲しかったのは実際そのお墓にお参りさせてもらったときです。昨年垂井に行ったときは「熊に注意」があちこちでみられたわけですが、今回はマムシ。この時期はメスがおなかに子を抱えている時期で一番危ないということで、住職さんが何とお墓まで案内してくださったのです。で、まずこのお墓への山道、蜘蛛の巣だらけ。いかにお参りする人が少ないかという話になります…そして極めつけは、墓石が崩れていた!一番上に安置されていないといけない墓石が落ちてしまっていたんです。住職さんが一見して「これは下3つより上の石の並びがおかしい」ともおっしゃっておられました。墓石にはしっかり半兵衛の戒名と命日が書かれて居りました。山の中なのでということで1本だけ線香を手向けさせていただきました。そしてこの横にもうひとつ塚がありまして、これは馬塚といって半兵衛さんの乗っていた馬が埋葬(死んで埋葬されたのか「殉死」させられたのかはわからないとのこと)されているといわれているそうです。
左から半兵衛さんの墓遠景、馬塚(某本によると「半兵衛塚」となっております)、そしてお墓の接写(よく見ると戒名と命日が書かれております)です。

実はこのお墓、よく見ると角がかけていた(実は住職さんに教えられて初めて気づいたにぶいokamel(苦笑)…)のですが、これまた理由が。ある時期このあたりに博打がはやり、お墓の角を持っていると勝つといううわさが広まって、そうなってしまったそうで。別に半兵衛さんのお墓のをというわけではなくてどのお墓でも良かったらしい…。何という迷信。逆に罰が当たって負けそうな気がしますが…
タクシーの運転手さんと住職さんのおかげで本当にいい経験ができました。そして今日という日にこういう導きを与えてくださった(と信じたい)半兵衛さんに改めて感謝のokamelなのでありました。
行ってみたらいわゆる寺という感じのいかつい建物はなく、ちょっとした立派な家の中にお寺がという感じでした。で、どこにお墓があるのかわからず、タクシーの人が地元の同僚(運転手さん自身はここのかたではないようでした)に電話で聞いたらその人もわからないということでその同僚の方が観光協会にまでといわせてくださっている間に、お寺の人に話してみましょうかといってくださったので、お願いしてみました。そうしたらこの住職さんがまた気さくな方で、お墓もあるし、位牌もあるということで、最初にその位牌を奥から出して見せてくださいました。半兵衛さん、実は戒名が2つありますが「深竜水徹~」は竹中家の宗派である禅宗(禅幢寺の宗派から考えると多分曹洞宗)の、そしてもうひとつのはここのお寺の宗派である浄土宗のものだったんです。で、その位牌の形式、城主クラスの方のものだということでした。住職さんのお許しを得て写真を撮らせていただきました。位牌の裏には「俗名 竹中半兵衛重治」と中央にかかれ、記憶があっていればその右側に「天正七年」、左側に「六月十三日」と命日も記されてありました(記されていたのは確かです)。
そして極めつけはここから。このお寺にあるお墓の由来、会って下さった住職さんは10年位前に明石から来られたそうなんですが、先代の住職さんから聞かれた話では、もともとのお墓があったであろうところはお寺の敷地ではなくその地域の庄屋さんのものだった(実際木立を挟んですぐ隣は今も別の方の敷地だそうで、そこにはその庄屋さんの累代のお墓がありました)のが、昔あるとき山が崩れて遺骨がでてきたのでびっくりしてお寺に聞いたらこれは半兵衛さんのものではないかという話になったとか。実際家臣団の陣があったのはその付近らしく、その住職さんが伝え聞いておられたところでは、平井のお墓は秀吉がお参りしやすいようにするための祭りの要素を主とするもので、こちらのお墓に遺体は埋められたのではないかということ。別にこういうお墓の形式(実際埋葬するところと祭祀的要素を持たせるところをわける)はこの一帯では珍しいことではなく、今も行われているんだそうです。それと、ちょうど地点的にも戦場が見張らせる位置にあるので、亡くなっても魂に戦を見守ってほしいという願いからそこに埋葬されたのではないかということなんですね。あと、表向き半兵衛さんの墓は平井のほうという話になっているので、万一敗れて荒らされるようなことがあったとしても、そうされるのは平井の方で本当の(安福田の)お墓はあらされる心配がないというのもあったのだろうというお話でした。これはokamel初耳だったのでかなり衝撃でした。ただ地元の史家の方々が実際に調査したわけではないのでしっかりとしたことはわからないということで、あまりこの説を信じる方も居られないらしいというちょっと悲しいお話も。こちらのお墓は調査も可能かと思いますが、もうひとつの平井のお墓は、あれだけ大きな木が盛り土から生えていたらちょっと難しいのではという気がします…okamel発掘調査を実地にしたことはないのでわかりませんが、あのような場合何か方法があるのでしょうか。でもお墓を発掘調査される半兵衛さんもたまらないのではという気が…。余談ですが実は官兵衛の福岡のほうのお墓と蒲生氏郷のお墓は発掘調査されているようですね。で、官兵衛のお墓の場合、福岡のほうはそれこそ祭る意味のお墓だったみたいで、氏郷のお墓は、埋葬されるとき刀を抱いた形だったらしいということが判明したそうです。
話を半兵衛さんに戻します。okamel的に気になったのは、この栄運寺さん、実は三木市のサイトによると元禄5(1692)年の開山なので、もし庄屋さんが聞いたお寺というのが栄運寺さんということなら、この山崩れ事件はそれ以降のお話ということになります。遺骨って、土壌の質にもよると思いますが、どれだけ残るのでしょう(半兵衛さんが亡くなったのは1579(天正7)年)。とはいえ、実際お寺の墓地からは結構離れた山奥にありましたので、遺骨が出てきた以上お寺の檀家さんとは関係のない誰かが埋められていたということは確かなわけで…。okamelはもちろんこういう話に対してこうだと言いきれる立場の人間ではありませんので、ここで細かいことをこれ以上言うつもりはありません。ただ戒名までつけてくださって祭ってくださっている以上、okamelとしてはこちらも他の垂井や平井のお墓同様、半兵衛さんのお墓として心にずっととどめ、大切にしたいと思います。ちなみにこのお墓については某本が別の話を書いておりますが、ここでは割愛します。
このこと以上にもっと悲しかったのは実際そのお墓にお参りさせてもらったときです。昨年垂井に行ったときは「熊に注意」があちこちでみられたわけですが、今回はマムシ。この時期はメスがおなかに子を抱えている時期で一番危ないということで、住職さんが何とお墓まで案内してくださったのです。で、まずこのお墓への山道、蜘蛛の巣だらけ。いかにお参りする人が少ないかという話になります…そして極めつけは、墓石が崩れていた!一番上に安置されていないといけない墓石が落ちてしまっていたんです。住職さんが一見して「これは下3つより上の石の並びがおかしい」ともおっしゃっておられました。墓石にはしっかり半兵衛の戒名と命日が書かれて居りました。山の中なのでということで1本だけ線香を手向けさせていただきました。そしてこの横にもうひとつ塚がありまして、これは馬塚といって半兵衛さんの乗っていた馬が埋葬(死んで埋葬されたのか「殉死」させられたのかはわからないとのこと)されているといわれているそうです。
左から半兵衛さんの墓遠景、馬塚(某本によると「半兵衛塚」となっております)、そしてお墓の接写(よく見ると戒名と命日が書かれております)です。
実はこのお墓、よく見ると角がかけていた(実は住職さんに教えられて初めて気づいたにぶいokamel(苦笑)…)のですが、これまた理由が。ある時期このあたりに博打がはやり、お墓の角を持っていると勝つといううわさが広まって、そうなってしまったそうで。別に半兵衛さんのお墓のをというわけではなくてどのお墓でも良かったらしい…。何という迷信。逆に罰が当たって負けそうな気がしますが…
タクシーの運転手さんと住職さんのおかげで本当にいい経験ができました。そして今日という日にこういう導きを与えてくださった(と信じたい)半兵衛さんに改めて感謝のokamelなのでありました。
12.9.09
三木墓参紀行 1
今日は当地、朝方から結構な雨…1日違いでこれだけの差があると、何かを感じずにいられないokamel。今頃あの雨が三木に移っているのでしょうか。ということで、今日は昨日の三木1日旅、題して三木墓参紀行の前半について書こうとおもいます。
片道3時間の旅…新幹線をつかうと約1時間短縮できたんですが、地方線でないとゆっくり楽しめない何かを楽しみたくて、今回は新幹線は使いませんでした。やはり駅名に「御着」とか「はりま別所」とかあったらわくわくしてしまいます。それに今考えているだけの段階ですが関ヶ原・垂井に行くときは絶対新幹線を使わないといけなくなりますし。そういうときにとっておけばいいかという話で。
こちらは粟生駅から恵比寿駅までの切符。そこまではJRでした。

そしてこちらが恵比須駅構内と駅舎。駅の前のロータリーにも石でできた大きな恵比須さんが居られました。看板はぶどう園のものなのですが、半兵衛さんのお墓はこのぶどう園の近くにあるので、この看板に沿って進んでいけば迷うことがまずないといえます。今はちょうどぶどう狩りの季節(8月~9月半ば。看板には今年は9月終わりごろまでいけそうな感じのことが書いてありました)なのであったのかもしれませんが。季節が外れたらもしかしてこれらの看板はない…?

恵比須駅に着いたら早速徒歩で平井のほうの半兵衛さんの墓を目指して歩いたわけですが、恵比須駅を起点にして正解…このとなりの三木上の丸駅からだともっと時間がかかっていたと思います。Okamelの早いとはいえない足で30分強かかりました。ただこの時間、最初違う道を進んでいて、幸いその道は本来行く道に通じていたので良かったのですが、そこで少しタイムロスをしてしまった部分もあります。で、Wikiにはぶどう園内とありますが、区画上そうなのかもしれませんが実際はそうではありません。ちゃんとわかれたところにありました。白壁に囲まれて、木が鬱蒼と茂っていて…何しろ盛り土からも大きな木が生えているんですからね…そこに墓石があるわけです。思ったより小さかったです。大きいスズメバチを横目に線香を手向けて(火をつけたかったのですがライターの火が付かず断念)暫し居座ってしまいました。やはり離れたくはなかったです。
写真はそこまでの道々に撮った風景、お墓のある付近、そしてお墓とその周りにあった看板です。
その近くに平井公民館があるのですが、この看板発見。
左の看板、何やら妙な感じがしたのはokamelだけでしょうか。で、その近くにあるようだった平井山本陣跡に行こうと思ったのですが、標識に従ってもなかなかつかない。タイムリミットが3時間だったため、もうひとつの半兵衛の墓があるという栄運寺に行こうと思ったら徒歩ではどうにもなりそうになかったので、近くに幸い公民館があって公衆電話もあった(最近公民館すら公衆電話をおかないところもありますので、これはかなり幸運)ので、そこでタクシーをお願いすることに。で、タクシーの運転手さんに本陣跡について聞いてみたら、山のてっぺんで結構おっかないところを行くらしいという話。今はまだぶどう園があいている時期なので車でいけるのは7km手前までということでした。実際は今日はokamelが行った時間、道沿いのぶどう園営業を終了しておりました。2つあるらしくて旧園の方はやっているということでしたが(つまり本陣沿いのは新園ということに)、もう時間もなかったので栄運寺に行っていただくことに。これが思わぬ展開を生みました。
片道3時間の旅…新幹線をつかうと約1時間短縮できたんですが、地方線でないとゆっくり楽しめない何かを楽しみたくて、今回は新幹線は使いませんでした。やはり駅名に「御着」とか「はりま別所」とかあったらわくわくしてしまいます。それに今考えているだけの段階ですが関ヶ原・垂井に行くときは絶対新幹線を使わないといけなくなりますし。そういうときにとっておけばいいかという話で。
こちらは粟生駅から恵比寿駅までの切符。そこまではJRでした。
そしてこちらが恵比須駅構内と駅舎。駅の前のロータリーにも石でできた大きな恵比須さんが居られました。看板はぶどう園のものなのですが、半兵衛さんのお墓はこのぶどう園の近くにあるので、この看板に沿って進んでいけば迷うことがまずないといえます。今はちょうどぶどう狩りの季節(8月~9月半ば。看板には今年は9月終わりごろまでいけそうな感じのことが書いてありました)なのであったのかもしれませんが。季節が外れたらもしかしてこれらの看板はない…?
恵比須駅に着いたら早速徒歩で平井のほうの半兵衛さんの墓を目指して歩いたわけですが、恵比須駅を起点にして正解…このとなりの三木上の丸駅からだともっと時間がかかっていたと思います。Okamelの早いとはいえない足で30分強かかりました。ただこの時間、最初違う道を進んでいて、幸いその道は本来行く道に通じていたので良かったのですが、そこで少しタイムロスをしてしまった部分もあります。で、Wikiにはぶどう園内とありますが、区画上そうなのかもしれませんが実際はそうではありません。ちゃんとわかれたところにありました。白壁に囲まれて、木が鬱蒼と茂っていて…何しろ盛り土からも大きな木が生えているんですからね…そこに墓石があるわけです。思ったより小さかったです。大きいスズメバチを横目に線香を手向けて(火をつけたかったのですがライターの火が付かず断念)暫し居座ってしまいました。やはり離れたくはなかったです。
写真はそこまでの道々に撮った風景、お墓のある付近、そしてお墓とその周りにあった看板です。
その近くに平井公民館があるのですが、この看板発見。
左の看板、何やら妙な感じがしたのはokamelだけでしょうか。で、その近くにあるようだった平井山本陣跡に行こうと思ったのですが、標識に従ってもなかなかつかない。タイムリミットが3時間だったため、もうひとつの半兵衛の墓があるという栄運寺に行こうと思ったら徒歩ではどうにもなりそうになかったので、近くに幸い公民館があって公衆電話もあった(最近公民館すら公衆電話をおかないところもありますので、これはかなり幸運)ので、そこでタクシーをお願いすることに。で、タクシーの運転手さんに本陣跡について聞いてみたら、山のてっぺんで結構おっかないところを行くらしいという話。今はまだぶどう園があいている時期なので車でいけるのは7km手前までということでした。実際は今日はokamelが行った時間、道沿いのぶどう園営業を終了しておりました。2つあるらしくて旧園の方はやっているということでしたが(つまり本陣沿いのは新園ということに)、もう時間もなかったので栄運寺に行っていただくことに。これが思わぬ展開を生みました。
11.9.09
決行しました
今日は9月11日…同時多発テロの起きた日-であるとともに、日付優先で考えて竹中半兵衛の誕生日でもあります。そしてその誕生日についにokamel、積年の思いを達成しました。三木のお墓参り。誕生日にお墓参りというのもなんですけれども、やはりこの人が生まれたことで今あるような歴史ができている(いろいろいわれていますが、少なくとも浅井攻略は半兵衛の人脈によるところが少なくありません(半兵衛は一時期浅井家に寄食))わけですし、そういう人を遣わしてくれた運命というか天と言うかに感謝しなければいけないし、なにより半兵衛というokamelにとってはあらゆる面で本当に尊敬の極みである人物(okamelにとっては人物以上の存在かも)を追悼するなら、命日を除いたら誕生日しないかなと思いまして。
細かいことは明日以降書くこととしますが、普通誕生日といったらその日に生まれた人に対してプレゼントを贈るもの(okamelはちなみに線香を手向けました)ですが、今日という日は久々と言えるくらいすばらしいものでした-そういう意味では、逆になんだか半兵衛さんから価値の計り知れないプレゼントをもらったような気持ち…またまた、半兵衛さんには感謝感謝でうるうるなのであります。
細かいことは明日以降書くこととしますが、普通誕生日といったらその日に生まれた人に対してプレゼントを贈るもの(okamelはちなみに線香を手向けました)ですが、今日という日は久々と言えるくらいすばらしいものでした-そういう意味では、逆になんだか半兵衛さんから価値の計り知れないプレゼントをもらったような気持ち…またまた、半兵衛さんには感謝感謝でうるうるなのであります。
登録:
投稿 (Atom)