29.10.09

関ヶ原・垂井・長浜紀行 5

 この次に行ったのが、菩提山城跡のハイキングコースのぼり口。実は山頂への道はokamelが去年両足の小指の皮がめくれながらも登った道とこの道と2つあるのでした。そして今回入り口に来たほうがいわゆるハイキングコースで、景色も眺められて険しいところも途中1箇所あるくらいなのだそう。住んでいるところが近かったらこちらの道を通ってもう一度山頂に行ってみたいものなのですが…
そしてここから撮れるのがこのような写真。この日は本当に雲ひとつない晴天でしたので…

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この写真の真ん中あたりに見えるのが名古屋の駅らしいのですが、okamel名古屋駅に行ったのはそれこそ10年以上前(秀吉や清正のゆかりの史跡を歩いたことがあります)なのでなかなかイメージが思い浮かばず。そしてもうひとつここから見えるのが、「落人の里」といわれる地域。関ヶ原の戦いで敗れて帰ることのできなくなった西軍の人々(ある意味生き残った人が全員国に帰ることのできたのは島津軍くらいですから。とはいえ、敵前突破しておりますので生き残ったのは本当にわずかですけれども)が住んだ地域というのがありまして、それも写真には撮りました。さすがにそのままの氏では住めないので改姓して住んだそうです。
そして次に行ったのが南宮大社。日本の三大大社のひとつなのだそうです。残念ながら今順次修繕中で、今は2枚目の写真のとおり本殿の修築中でした。昔は結構式場もあったらしいのですが(運転手さんの息子さんはそこで結婚式をなされたそう)ですが、なくなってしまったそうで…。その大社まで行く道がまた細くて複雑で、おまけに下水工事(まだ下水の通っていない地域があるのだそうです。まあ、以前okamelが住んでいたところも最近までなかったですから)中で通れる道が限られていて大変でした。生垣を少しバリバリ言わせながら通ったくらい。運転手さんのお話ではこのあたりは空襲がなかったので、こういった道も残っている(これと同じことを、2日目に菁莪記念館を再訪した時案内してくださった公民館の当直の方が話しておられました)そうです。


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そしてこのあと、菁莪記念館へ。ちょうど展示物の整理を臨時職員さん2人がされている最中で、この日は午後からその関係であいていたそうです(!)。実はこの記念館、平日は14時から18時、土曜日は14時から21時、日曜日は9時から17時までというのが一応の開館時間なのですが、要は隣にある公民館が開いているときがあいているときという感じらしいのですね。また時間だからといって必ずあいているわけではなくて、しまっていたら時間内なら公民館に申し出てあけてもらう感じになるのだそうです。事前に申し込んでおくと館長さんが説明をしてくださるらしかったのですが、okamelそれを知りませんで、またその日は行事があったそうなので、お願いできず、ちょっとそれは残念でした。ただタクシーの運転手さんによると、話していただけるのはいかに竹中家が苦労して生き残ってきたかということのようで、実際関ヶ原でも幕末の動乱でも両方に人を置いたそうです。このあたりはokamelもう少し自分で調べてみる必要ありかなと(関ヶ原で知っているのは、少なくとも重門は最初西軍に属していたのが戦の前に東軍に変え、九州の半兵衛さんのおじの血筋の分家も同じように当初西軍だったのが東軍に変わったということ、そして幕末は幕府軍についたということなので)。で、その資料館は撮影自由だということだったので、いくつかとらせていただいた(その中にはとんでもないものもありますが、それが何かは秘密)中からここに数枚を。

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3枚目は竹中陣屋があったころの模型です。また4枚目のお人形の半兵衛さんは昭和時代の作ですが竹中家所蔵の肖像画同様左手にお数珠を持っておられます。なんとも優しい表情なのでこれを見るたび(そして思い出すたび)うるうるしてしまいます。史資料が写しばかりだとおっしゃっておられましたが、確かにこの資料館の環境ですと原本の展示は厳しいところがあるかもしれません。でも資料という資料が、保存のためかもしれませんが基本的にゆかりも何もない一定の限られたところに集中してしまうというのも、okamel的にはどうかなという気がしなくはないのでありました。
そしてこのあとたるいピアセンターに連れて行ってもらってタクシーはおしまい。中は普通の図書館と資料室、そして歴史資料館がありまして、最初に歴史資料館を見て回りました。古代から現代までの歴史の中に半兵衛さんの特設コーナーもあります。他の方のブログによるとここも撮影自由だったということなので、okamelも一部とったものを載せます。

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2枚目のは一見してお分かりかと思いますが、竹中陣屋の建物のミニチュア(?)で、真ん中の画面で半兵衛さんの一生を秀吉が語る形式で案内するビデオを見ることができるようになっています。本当に素朴なビデオでした。また話し方もとても良かったです。鎧を着たまま亡くなっているというのが「!」という感じではありましたが、まあ。
そして資料館でいくつか本のコピーをとってセンターを出たのは18時前でした。資料を調べているとき小耳に挟んだのが、翌日は10人くらいが資料室に来て何かをする予定という話で、もしその日にきていたらゆっくり調べ物ができなかったかもしれないと思うと、これもまためぐり合わせかなと思わずにいられませんでした。で、でたときは外はすでにほぼ真っ暗。そのため駅までは近いのに思い切り道に迷いまして、結局岐阜に19時過ぎに着くことになってしまいました。懐中電灯がなかったらもっと困っていた(自転車のライトが懐中電灯兼用で、そのときも持っていたので、地図を確認するのに役立ったわけです)と思います。写真はセンター入り口にある垂井町憲章とセンター遠景(真っ暗なのでわからないでしょうが)、やっとの思いで(?)たどり着いた垂井駅からの夕暮れの写真、岐阜駅の前にあったライトアップされた信長の像(なんとなくスターウォーズの雰囲気(笑))そしておまけの泊まったホテルの部屋です。

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結局こういう時間になってしまったので、今回も岐阜の歴史博物館には行くことができませんでした。よほど縁がないのか。今後の特別展次第ではまた考えてもよいかなと思っておりますが。何せ再来年がまた戦国がらみですからね。
では次回は垂井2日目について書くこととなるかと思います。

2 件のコメント:

しーな さんのコメント...

えっokamelさん今回の旅はおひとりだったんですか?
シングルのお部屋?

素顔は・・・ん~ミステリアスにしておこうかな。

okamel さんのコメント...

はい、そうです。今回は一人旅でした。だからこそいきなり計画を変更することも可能だったわけで…。
部屋はシングルです。昨年泊まったホテルはお風呂場から下水の臭いがしてたまらなかったので、今回は違うところにしました。においがしなかったのはもちろん、きれいでいいところでした。1泊朝食付きで5800円でした。3階がフロントで1階にはコンビニがありました。駅にも近くてよかったです。ただ今から考えると、泊まるのは大垣でも良かったかなという気が(大垣は岐阜と垂井の間くらいにあります)。