9.8.09

またどっぷりになるきっかけが…

 今夕飯を食べながら昨日ビデオにとった美の巨人たちを見ました。寸劇、雰囲気を壊さない程度のものがありました。okamelお気に入りのゲームのひとつである太閤立志伝Ⅴでは、加藤清正は最初築城技術が余り高くないのですが、修業させると一気に伸びます。なぜかなと思っていたのですが、理由がちゃんとあったんですね。熊本城は勿論ですが、姫路城や名古屋城も清正が関わっているらしいです。okamelが過去読んだ本の中(子ども向けですが)には、半兵衛は賤ヶ岳七本槍を教えたと書いてあるのもあり、清正もその一人ですから、築城について多少聞いているかもしれません。実際半兵衛、菩提山城を父親と造ったそうですし、その城は結構なものだったそうですから、半兵衛自身も相当の知識はあったものと思われます(そして余談になりますが、長浜の城はどうかわかりませんが、街づくりを担当したのも実は半兵衛らしいです)。気分はまたあの時代と言う感じです。以前載せたかどうか忘れましたので、その菩提山城址の看板の写真を載せますが、拡大したのをここに載せてもぼけるので、読みたい方はすみませんがリンク先で拡大して読んでください。-ちょっとずれましたかね(苦笑)。流れを清正に戻します。ともあれ、築城について話を聞いていたとしても才能がなければどうにもならないわけですから、清正もやはり才能があったということでしょう。
 朝鮮の役のために晩年は歳のわりにかなり老け込んでいたそうで、関ヶ原戦後も秀頼を一生懸命補佐した清正ですが、そのために家康に毒殺されたのではと言う説まで出る始末です。真偽のほどはさておき、有能であったがために家康に警戒されてという流れからすれば、そういう説が出ると言うことは清正と言う人物が如何に優れていたかの証拠でもあります。領民思いでもあったそうで、西南戦争で焼け落ちた城を復興させよう(そして今も再建中)と立ち上がったのは熊本市民だそうです。スザンヌ(熊本出身)が以前教科書の人物古今東西で清正の名を上げたのもそれだからかも。
 ここで清正のイラストがあれば完璧なんですが…あまりokamelひげのある人物って描かないんですよね(苦笑)。実はだいぶ前に若いころの清正のイラストをこのブログに出したことはあるんですが、ここに出せる代物では、ちょっと。近日中にトライしてみます。

看板の写真↓

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