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25.4.10

全然不釣りあいでないんですが…

 なかなか夜も暖かいという日になりませんねえ…日中はジャケットなしでも何とか過ごせるかなというときもあるのですが。先ほど気象庁のサイトを見てみたら、今日の最低気温は4.3℃だったようです…何月なんだ一体。だからというわけではないですが、今聞いているのはO Holy Nightです。暖かいときに聞くとしっくり来ませんが、こう冷えるとぜんぜん不自然さを感じないです。ますます寒くなってきました(苦笑)。この曲、好きですがBGMにすると絶対に明るい表情はかけないので困りもの。なんとか、祈る姿でストップしたものを描けたらと思いますが…。今それ以上に歌いたい衝動に駆られていて、とめるのが大変(苦笑)。それも思い切り歌いたい気分。この時間に。この歌、〆にものすごい高音があって、そこはほとんど絶叫みたいな声になってしまうので、歌う時間をかなり選びます。「お」の口で歌うところなので発声そのものは難しくはないはずなんですが。じわじわと今年のクリスマスまでに出せるように、訓練するかな…
 では最後に一番最近描いたものを。



かぶとをかぶってよろけているのは虎之助、後の加藤清正です。秀吉、かぶせてみて「う~ん、まだ早いか」と思っているところ…。最初この台詞書こうかと思ったんですが、イラストがすべて海外向けサイトと共用なことから、どうだかなと思ってやめました。

31.8.09

予告、それとも…?

 今日はこちらが届きましたので今ささっと読みました。内容が軽すぎず重すぎず、いい本だったと思います。個人的には相変わらず半兵衛についてどうかかれているかが気になって買ったところもあるのですが、しっかり「美男子」とされておりました。加えて「女装すれば、たぐいまれな美女と見まごうほど」とまで…初めて聞いた、この表現!いいのかいな…
 で、基本この本は例の『殿といっしょ』関連で出されているのですが、第3巻までに出てきている人たちはそのこまが抜粋で出てきておりますが、自然出てない人も紹介されています。それが大谷吉継や福島正則、加藤清正と言った面々。やはりなあと言う感じ。これ、今から出るよと言う予告なのか、筆者に出してと言うリクエストが多い武将なのか…フラッパー(『殿といっしょ』の連載雑誌)の読者はわかっているのでしょうが…。あと気になるのは今後の官兵衛。イラストはやはり前日紹介した曲者風のが(というか、それしかまだ官兵衛が描かれたものがない)載っておりましたが、この本では善人のイメージが強調されておりましたので、今度大羽さん(『殿といっしょ』の作者)がどうされるのか、期待したいところです。次回登場時はいきなりマスクをはがして善人顔が出てくるとか(笑)。


23.8.09

やはり先入観からは逃れられず

 昨日は夜になっていきなり電話線が不通になって、インターネットもまったく使えなくなり驚きました。事前に何か連絡が入っていたのかな… 

 さて、なんだかんだ言ってカラーが続きました。



 清正をやっと描いてみました。やたら髪の色ばかり濃いですが、実は場所ごとに画材が異なりまして、顔と髪は水彩筆ペン(結った髪の部分は普通の筆ペン)、衣服は水で溶かした水彩色鉛筆です。紙はマットサンダース紙を初めて用いたんですが、水のぼかし具合もあるのでしょうがこれほど画材によってはっきりとタッチの変わった紙も初めてです。顔の部分、陰影をもう少しつけようかと普通の色鉛筆で加筆してみたら、もろに紙目が出てきてしまったので、これは無理だとあきらめました。
 このイラストを描くためにWikiに載っている肖像画を確かめたのですが、老け顔だ~(苦笑)。 それに比べるとまあなんとokamelの今回のものは若いこと(爆)。最近描くキャラでひげのあるのは秀吉と卜伝くらいなので、ここまでひげを描くのはかなりokamel的には勇気が要りました(笑)。多くの武功を立てた人にしては雰囲気が優しすぎのような感もありますが、先日の番組やWikiなどで知る限り、どうもokamelには清正が強面キャラのように思えないんですよね…今後もう少し変化するかもしれませんが。

9.8.09

またどっぷりになるきっかけが…

 今夕飯を食べながら昨日ビデオにとった美の巨人たちを見ました。寸劇、雰囲気を壊さない程度のものがありました。okamelお気に入りのゲームのひとつである太閤立志伝Ⅴでは、加藤清正は最初築城技術が余り高くないのですが、修業させると一気に伸びます。なぜかなと思っていたのですが、理由がちゃんとあったんですね。熊本城は勿論ですが、姫路城や名古屋城も清正が関わっているらしいです。okamelが過去読んだ本の中(子ども向けですが)には、半兵衛は賤ヶ岳七本槍を教えたと書いてあるのもあり、清正もその一人ですから、築城について多少聞いているかもしれません。実際半兵衛、菩提山城を父親と造ったそうですし、その城は結構なものだったそうですから、半兵衛自身も相当の知識はあったものと思われます(そして余談になりますが、長浜の城はどうかわかりませんが、街づくりを担当したのも実は半兵衛らしいです)。気分はまたあの時代と言う感じです。以前載せたかどうか忘れましたので、その菩提山城址の看板の写真を載せますが、拡大したのをここに載せてもぼけるので、読みたい方はすみませんがリンク先で拡大して読んでください。-ちょっとずれましたかね(苦笑)。流れを清正に戻します。ともあれ、築城について話を聞いていたとしても才能がなければどうにもならないわけですから、清正もやはり才能があったということでしょう。
 朝鮮の役のために晩年は歳のわりにかなり老け込んでいたそうで、関ヶ原戦後も秀頼を一生懸命補佐した清正ですが、そのために家康に毒殺されたのではと言う説まで出る始末です。真偽のほどはさておき、有能であったがために家康に警戒されてという流れからすれば、そういう説が出ると言うことは清正と言う人物が如何に優れていたかの証拠でもあります。領民思いでもあったそうで、西南戦争で焼け落ちた城を復興させよう(そして今も再建中)と立ち上がったのは熊本市民だそうです。スザンヌ(熊本出身)が以前教科書の人物古今東西で清正の名を上げたのもそれだからかも。
 ここで清正のイラストがあれば完璧なんですが…あまりokamelひげのある人物って描かないんですよね(苦笑)。実はだいぶ前に若いころの清正のイラストをこのブログに出したことはあるんですが、ここに出せる代物では、ちょっと。近日中にトライしてみます。

看板の写真↓