20.2.23

今更気づいたような

 昨日のバイオパーク、ひょんな流れからすこしKTのゲームの話や三国志の話になりました。それを見て思ったのが、自分の教授もそうだったのですが、司馬懿と司馬炎の関係があまり知られていないなあという。後両方とも親子と言われているのですが、実際は祖父と孫です(司馬懿の次男が司馬昭で、その子が司馬炎)。まあ司馬懿と比べたら司馬昭の影が薄くなってしまうのは どうしようもないところなのかもしれません。

 この1週間は、またちょっとありゃ~なことがありました。相変わらず守屋洋さんの四字熟語がらみの本を読んでいたのですが、「男は外、女は中」「女は政治にしゃしゃり出るな」感の目白押しになっていて、今こんな本出したらえらい目に合いそうだがと。ちなみに読んでいる感じ、書かれたのは昭和から平成の境目のバブル絶頂期頃とおもわれ、そのころはまだそういう考えが大半だったのだろうかと。自分の記憶ではその頃はもうだいぶ共働きが増えていたような気がしますが。女性が絡むと政治がろくなことにといいますが、男が聞かなければいい話でしょうし、だいたい政治がぐちゃぐちゃになるのって、女性の政界内の割合(特に昔はほぼいない)もありますがほとんどが男同士の政争(中国ならさらに宦官とか)が原因になっていて、男がどう女がどうという話で行くならばよほど男がだらしないんじゃという話です。個人的には男が女がの前に人としてどうなのかという話ではないのかと思いますが。

 あともう一つ「ん~」と感じたのが、品格がないと政治かとしてどうか、しかもその品格が備わるには少なくとも3世代は必要といって、田中角栄と周恩来を比較していたところ。家柄が高くないと政治かとしては不向きみたいな考え方は自分賛同できない派で(細かい理由はここでは書きませんが)、墨子の「いかに家柄が良くても無能なら平民に落とせ、いくら家柄が良くなくても才能があるなら取り立てよ」という考えの方に同感します。ふとそれで思ったのが、守屋さんは中国古典の本をいろいろ書いておられますが、そういえば墨子について書かれていることがほとんどないなと。たいていは儒学系の本や三国志、十八史略といった史書系、あとは兵書系。韓非子や老荘もありますが、儒学系の割合の高さに改めて気づかされました。何度もこちらで言っているように自分は基本反儒学の人間で、先日売り払った本の中にも儒学系の本がいくらかあります。手元に残っている思想系の本はほとんどが反儒学系です。だからいってすべてがすべて嫌いというわけではなく、そこも墨子といっしょです(儒学のことをほめたので弟子が「珍しいですね」と言ったら「自分でも正しいと思ったときは認める」と答えたという話がある)。

 それで、その本は途中で保留にして、今は『伝習録』を読んだり日本のことわざについての本を読んだりという感じになっています。こういうバランスも大事。では今回はこの辺で。

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