まずは関ヶ原でしたので、そこで得たもののひとつを。旅行記2で触れたスタンプ帳(?)機能付きの観光地図の裏面がこれです。表は地図になっています。
あとokamel的に面白いと思ったパンフはこれ。両軍の代表的武将の分析表もあるのですが、黒田長政の人望が2というのは「…」。それで官兵衛さん、晩年にあのような態度を取ったのかな(長政に人望がいくようにわざと荒れたそうです)。
そして関ヶ原歴史民俗博物館で得たのがこちらの数々。結局竹中系のグッズを手に入れることができたのは、禅幢寺とここだけでしたので、買っておいてよかったというか。右2枚はホルダーの両面写真で、よくよく見ると中に挟んである紙は和風印刷用紙が使われていました。
もちろん関ヶ原合戦当時半兵衛さんはすでに亡くなっていますので、丸に九枚笹は重門ということで紹介されております。下に敷いているマットも購入したもののひとつで、現品限りにして最後のひとつでした。トランプはかなりこっておりまして、いわゆる絵札(J、Q、K、A)は主な参加武将の旗印になっています。重門さんもあります。
それから今度は垂井で得たパンフ。昨年来た時と変わっているのに少々驚いたokamel。その2つを紹介しますが、まずはこちら。ちなみに左側が昨年収集したもの、右側が今年のものです。
半兵衛さんの銅像の写真が加わりました。そしてこちら。
今年のは折りたたまれてもいない…。それはともかくとして、どうも「北部」という銘うちがあるので、エリアごとのものに作り直したようです。あと昨年のものに載っていた半兵衛さんの甲冑を着たマスコットキャラが消えて、別のキャラクターに。このマスコットキャラは今はレンタサイクルでしか見られなくなっているのかな(その写真は旅行記6で見られます)。
そしてこちらが禅幢寺で購入できるもの。左が梅干で右が手ぬぐい。
梅干は、昔ながらの塩と紫蘇だけでつけたものですとおばあさんが教えてくださいました。今白米や雑穀米、そして時にはお茶漬けにして食べています。新書太閤記に、京で療養中の半兵衛さんを見舞いに来た秀吉に対して半兵衛さんがさりげなく席をはずして手料理を振る舞い、それを知った秀吉が料理にこめられたぬくもりに涙するというシーンがありますが、その気持ちが味わえるような気がします。そして手ぬぐいはこのような感じになっております。
内側を見せるように撮るとよかったでしょうが、かすかに内側にかぶとが見えるのがわかりますでしょうか。背のほうの家紋はおなじみ丸に九枚笹、そして下の水玉模様は竹中家のもうひとつの家紋である白餅(他の本によると黒餅ともいうようですが)で、これはお正月の残りのお餅を半兵衛さんが懐に入れて出陣したら、たまたま流れ矢がそのお餅に刺さって命拾いしたためもうひとつの家紋にしたと言う話があり、後にそれは黒田家と譲り合ったとか何とか聞いております。そしてこの模様にはもうひとつ意味があって、昔お寺で(だったと思いますが)餅まきの風習があって、それを表してもいるのですとおばあさんが教えてくださいました。
それからこちらは菁莪記念館を訪れたときに購入した、地元発行の半兵衛さんの伝記本。
地元ならではの温かみがあるという感じで、okamel好きです。終わりのほうにその後の竹中家と垂井に関しての話もあります。
最後にこちらはたるいピアで購入したパンフ。過去に開催された特別展(常設展エリアの横に特別展示用の部屋が1つあります)のパンフが事務室で購入できるようになっていて、展示室内のカタログで希望するパンフの番号を確認して購入しました。これもまた地元でしか購入できない貴重な資料と言えます。
長浜では時間がなかったこともあり、何も購入しておりませんが、資料パンフは収集しています。ただ本当に展示史資料の解説パンフなので、ここでは割愛します。
ということで、ちょうど10と言うなんともきりのいい番号になりましたが(もちろん計ってこうしたわけではありません(笑))、これで今回の旅行についての記事は終わりとします。
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