12.6.21

ライン引きの問題

  相変わらずこの週末の雨の降りだし降りやみ予測がころころ変わっております。今のところは当初より良い方向に変わっておりますが、さてこのままいくのか、急転直下結構な雨予報に変わるのか。

 イラストは昨晩で大体落ち着いたので、今日は再確認かなというところ。まあ自分のことですからまた少し手を入れそうな気はしますが。そして明日、いよいよ掲載します。となったら、今まで隠していた下の人物がだれなのか、お分かりかと思います。長らく描いていなかったので、どう描いたらいいものか本当にほぼ忘れておりましたが、昔描いていたのものと比べたら肖像画にちょっと目元が似たのかなという気がしなくもない。でも否定しようのない事実は、時間のかけようが我が神と違いすぎること…。これ、一つにはあおり角が我が神のほうが大きかったこともありまして、普段あまり描かない角度のために調整に苦労したということもあります。そのほかの苦労話については次回。

 やっとタイトルの話に戻ります。昨日から『Yの悲劇』のハヤカワ版と創元推理版を比べているわけですが、例の部分以外にもちょっと違うところがぽろぽろありました。ハヤカワ版を読んで気になったところを手当たり次第に見ているので順番がぐちゃぐちゃですが、例えば、ハヤカワ版で悩ませてもらった「頸筋をおおうほど」は、創元推理版では「首筋にまでたれている」となっています。最初から後者だったらあまり頭を悩まさなくて済んだのだがなあといったところ。そしてこの部分の近くにも訳がだいぶ異なるところがあったので、幸い手に入れることのできた原文と比較してみたところ、これはハヤカワ版のほうがかなり原文を装飾した訳にしていたことがわかりました。その方が趣はありますが。

 これらとは逆に、両方とも同じ訳だったのが、コールテン。原文は「in corduroys」(「コーデュロイに身を包んで」といった感じ)なのですが、ここをコールテンと訳したのは、その方が日本ではなじみがあるからと思ったからなのか。昨日Wikiでも見てみたのですが、こちらだとコーデュロイとコールテンは物は同じだか一部の業界では厳密に差をつけるといった意味合いの解説になっていました。自分が以前このことについて書いたときはこちらの織物専門業者のサイトを参考にしたのではっきり違うと書かせていただいた(つまり厳密に差をつける一部の業界の一つというわけ…この場合当然といえば当然といえますが)のですが、翻訳のときはそこまでこだわる必要があるのか、という話になるのだろうと思います。まあ先程の訳の「装飾」についてもそうですが、どこまでが許されて、どこからがいけないというライン引きは難しいのだろうと思いますね。ただ個人的には、中国古代の人間にカタカナ語はしゃべらせてはいけないと思いますが(実際『史記』だったか正史だったかの訳にあります)。あともう一つ、訳とは関係ないのですが、Amazonで原題『The Tragedy of Y』で検索すると、ペーパーバック版の表紙絵を見ることができますが、おそらく描かれているのは背格好からいってレーンさん(下のマンドリンなどはこの作品でのキーになる品々)。ですが…「頸筋を覆うほど」もしくは「首筋までたれている」はずの白髪はどこいった。では今回はこの辺で。

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