昨晩は当地も5度前後まで下がりましたが、来週はまた最高気温が20度近くまで上がる予想で、本当今年はどうなっているという。数日前も蚊が飛んでいましたし、他の生物も同じことを思っているのではないかという感じです。
昨日宮城谷さんの『三国志入門』を読み終わりましたが、最終的な感想としては、前回書いた感想と被りますが、正史準拠ではあるけれどもやはり演義より、というか三国志を書くには宮城谷さんは蜀寄りにすぎるなあという気がしました。それが顕著なのが関羽・諸葛亮贔屓と孫権・我が神・陸遜たたき(要はこの3人は関羽攻略にかかわっているため)。まさか執筆家という商売に携わっているがゆえに商売の神とされている関羽を悪し様に書きたくないなどということはないと思いますが、個人的にはこの点がかなり残念です。宮城谷さんは御自身で『三国志』を書かれていますが、この調子だとちょっと自分はこれは読めないなという気がしました。三國無双スタッフが魏寄りと言われていることもあるように、このあたりの話を扱う時中立が難しいのはわかりますが、宮城谷さんの場合は関羽がらみになるとどうしたレベルです。諸葛亮についても、前回もちょっと触れましたが自分は独特な考えを持っているので、読んでいてう~ん続きでした。そういったことを含めたこの時代の書き方では、自分は『中国武将列伝』を読んだ範囲にはなりますが、むしろ田中芳樹さんのほうに好感を持てます。ま、自分は三国志を専門にどうこうしようというわけでもないので、これからも呉が一番と言います(一応確認のため、自分は蜀<魏<呉)し、我が神を我が神と敬い続けますが。余談なのですが、かの天敵、劉備やら張飛やらは好きだけれど関羽にだけはどうも感情移入できないと言っており(於「三國志Ⅲ」プレイ動画内)、妙なところで合います。
前回「狡い」ということに関して結構書きましたけれども、重ねて書きますが武経七書をはじめとして多く兵法関連の本を読んできた自分としては、荊州の方法も早雲の方法も狡いとは考えていません。というか、これも前回書きましたが、欺くことは兵法の要素の一つであって、それを狡いと言っていては始まらないからです。それでも強いて何を狡いと考えるかと言ったら、敵の内部の人間を買収して内側から崩していく方法ですか。これとても本来は兵法の一つで、欲につられる人物を使っているからそうなる(故にそういう人を重用するなというのもこれまた兵法)という話ではあるのですが、このあたり完璧を求めるのは古今東西難しい話で。ともあれ、これを「狡い」とすると、演義で諸葛亮はまさにこれをやっておりますので、諸葛亮も「狡い」ということになります。実際は、賄賂をもらっている楊松自体が架空の人物なのでやっていないと思われますが、演義の中では清廉潔白で神のごとき智謀の人である諸葛亮にこれをさせているということは、この時代を含めてこれを狡い、あるいはひどいとは思っていないということなのでしょう。おまけに書くと、この後やはり演義で曹操が同じ方法で楊松を買収していて、さらに曹操は楊松を処刑しています。このあたりをどう考えるか。
これに近いのがスパイを放って国情を乱したり離間したり敵の能臣を失職させたりするケースで、これも演義では諸葛亮が使っている手(司馬懿をおとしめるため)になります。中国の春秋・戦国時代でもよくつかわれた手で、確か特に秦が得意だった気がします。これも「狡い」と言えると思うのですが、やはり兵法でもあるわけです。でも宮城谷さんの『晏子』(後半しかまだ読んでいませんが)や『子産』、今まで読んできた列伝系の本に、主人公が仕掛ける場面はほぼ出てきません。持っていながらまだ読んでいない本の中に『草原の風』という光武帝が主人公の話が、また有名どころの人について書かれたものとして『太公望』『管子』などがありますが、これらにすらこういった駆け引きの話がなかったら、宮城谷さんは余程の兵法嫌いということになります。
もうひとつこれに似たケースで、内側の人間を降伏させていくというのがあります。決して買収ではなく説得で切り崩すやり方で、我が神は荊州はこれでどんどん切り崩しています(逆に呉は、自分が覚えている限りでは二宮の変以降の呉の末期を除いてはこれで関羽レベルにやられたことはありません)。これは我が神が悪いのか、狡いのか?もちろんそうではなく、これは関羽の責任。実際関羽は人格的にどうなのというところがぽろぽろあり、下にやさしかった(逆に士大夫といった上の人には傲慢だったとか。張飛がその逆だったのでそれならと関羽は逆の態度をとったという話を読んだこともありますが、それはそれであまりな話)と言われていますが、それなら我が神に降伏した二将はなぜ降伏したのか。正史にはその二将のうちの一人は失火を起こしたことに対してひどく関羽にけん責されて処罰を恐れていたためとあり、もう一人は我が神が派遣した虞翻(この人がまた一癖ある面白い人なのですが、今回はそれについてはおいておきます)が将に対して送った手紙によって降伏したとあります。そしてこの二将、演義では毎度おなじみ「関羽の力」で死んでいたような気がしますが、実は普通にそのまま呉の臣になって何ともありません。そして最終的には兵士に見捨てられた形で関羽は捕まるわけで、正史の著者はこの一連のことは関羽の自業自得としていて自分もそう思いますが、おそらく宮城谷さんはそう思っておられないのでしょう。自分、関羽は「忠義の士」とはちょっと違うと思っています。関羽は確かに劉備個人に対しては忠だったかもしれませんが、蜀という国に対してはどうだったのだろうとよく思うことがあるもので。この先を細かくいくと「忠義」とは何なのかとか尽くすべき対象はどこであるべきなのかとかといろいろややこしいことになるので、この辺で止めておきます。
ということで2回にわたって愚痴に等しいことを書きましたが、これでこの先買おうかどうしようか迷っていた本のいくつかは回避することとなりました。そのお金は、この先の三國8エンパのDLCコンテンツ代にでも回そうかな。もし出るならですが…でもたいていエンパもDLCは結構出た記憶があるので、期待していいとは思うのですが。では今回はこの辺で。
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