12.11.21

『三国志入門』の感想 その1

 三國8エンパを購入することになり、数日前にさっそく作成予定のエディットリストを作ったのですが、ふと思ったのが、戦国5は本多忠勝が徳川版前田利家になったことから、昔のような「武で語れ」キャラでなくなりましたので、三國の呂布と比肩することができなくなったなあということ。というか、それに比するキャラが戦国にはいないのではと。今後また(こりもせず)OROCHIを出すのであれば、そのあたりどう調整をかけていくのやらという気がしました。ちなみになぜそれを思ったかというと、もし先にエディット武将を作成できる体験版が7エンパの時のように配信されたら、自分はまず例の御仁と呂布を入れ替えるための「偽物」を作ろうと思っているため。御仁は、7エンパ同様自分が6エンパからお世話になっているエディットの一人と入れ替えてもいいのですが。御仁を入れ替える理由はもはや説明する必要がないと思いますが、呂布は戦闘のペースを狂わす(無印ではたいてい、そしてたしかエンパでも登場ムービーがあった)ためで、戦闘に興味のない自分は、一対一の戦闘に時間をとるようなキャラは正直いらないという…。6エンパの時には関羽も登場ムービーがあるという理由でエディットの偽関羽と入れ替えていましたが、今回は未定。

 一昨日届いた本『三国志入門』の感想を、今度は2回に分けて書こうと思います。一言でいうと、宮城谷さんは呉はあまりお好きではないなと。我が神についても荊州攻略の際とった策が「狡い」とされていますが、それはどうかなあと。それならだれがやったか忘れましたが敵方の降伏兵を敵陣営に戻らせて、内部から混乱させるというのも狡いことになりますし、北条早雲が大森氏の小田原城に対してしたことも狡いことに。詳しく書くと、早雲が「狩りをしたいのだか多くの鹿が大森氏の支配領域に入ったので、鹿を追うために勢子を入らせてほしい」と言って許可をもらったら、勢子に扮して城の背後に伏せていたた兵士と自分が率いてきた軍で夜襲をかけてそのままのっとったというものになります。『北条記』にある話で史実かどうかはわからないようですが、やっていることはかなり我が神の荊州攻略法に近いものがあります。「呉の主従は策を多用する癖を持っている」って、別にそれ、呉に限らないと思いますし、それが兵法というものだと個人的には思うので、それを「狡い」ですますなら、『孫子』の「兵は詭道なり」を否定することになるような気が。それに、自分にしてみればやっていること全般を見れば劉備や諸葛亮のほうが余程狡いと思うのですが、ここではそのあたりの細かいことは書きません。幕末史同様、自分これに関しても独特の考えがあるので。幕末のほうはともかく、こちらに関してはその考えを持つにいたることになったベースの本があるのですが、それがどれだったか、ちょっと今思い出せず…。

 あと、宮城谷さんの場合は特に孫権があまりお好きでない感じで、末尾にほんの少しだけ褒められておられるほかは多くが否定的な言葉でした。今まで読んできた三国志関連の本でも、孫権はしたたかな人物と扱った本は結構ありましたが、宮城谷さんの場合は「嫌い度」が露骨な感じでした。今までいろいろ読んできた感じ、宮城谷さんは晏子や子産といった政治家系の人でまっすぐな人物を好く方のようなので、こういうことにもなるのかも。周瑜や魯粛が「大計をなすことのできた人物」ということでほめている反面、策略で関羽を討った我が神がいまいちの評価という点から、韓信のような人物が嫌いというのも、これでなんとなく分かったような気がします。ふと考えてみたら、宮城谷さんの本には『名臣列伝』や『名君列伝』はあるのですが、『名将列伝』は確かないんです。なので、おそらく宮城谷さんは兵法的な方はあまり関心がないというよりお好きでないのかもしれません。ともあれ、宮城谷さんの上記の評価は、おそらくこの3人のことについて正史で書かれた伝の最後にある孫権の三人評にもある程度基づいていると思われ、実際その評価の中で孫権もそういう面では我が神は周瑜に劣る(魯粛にも劣るとは言っていないのがみそ)と言っています。ただ、同時に周瑜との違いはそこが及ばないだけで、周瑜に次ぐ人物とも言っています。いくら大計をなしてもそれのために動く人がいないとどうしようもないわけで、周瑜はそれをなそうとして途中で病死(ただし決して諸葛亮にこけにされて死んだのではない)したのでなせず、これはどうしようもありませんが、我が神は孫権の言葉を借りるなら「意見にいささか壮大さと鋭敏さが欠けてはいた」ものの、実際に動いた人であり業績を残した人なわけで、孫権はそれを評価しています。一方で魯粛については、対関羽について「処し方がわからずからいばりしているだけ」と言っているのですが、残念ながら宮城谷さん、そこは違う意味で、孫権同様目をつむっておられますね。ちなみに孫権の場合は、魯粛の対劉備・関羽(要は荊州問題)のあれこれの1点は、他2つの大きな行動(端的にってしまうと、漢王室はオワコンだし曹操もいるので、漢王室の再興を考えるより自分の勢力を安定させることに努めるよう進言したことが1つ、赤壁開戦を主張したことがもう1つ)を損ずるものではないということで目をつむっております。

 細かいことは書かないと言いつつ1つだけ書き足すなら、蜀の面々についてはほとんど細かいことが書き残されていない(魏や呉と異なり歴史を書きのこす担当官がいなかったそう)のであっさりしているだけで、もし呉同様にどんなことをしたかが細かく書き残されていたなら、呉のことを「策を多用する」と書けただろうかという疑問が残りました。先ほど我が神のやったことが「狡い」と書かれていたことに触れましたが、なぜそこに至ることになったのかを考えてみた時、そこには劉備や諸葛亮(特に自分に言わせれば諸葛亮)がやってきたことが背景にあるのではないのかと。三國8の呉のシナリオは若干極端な感じがしなくはない(同盟中、呉の援軍要請をことごとくはねつけておきながら、魏の漢中へ向ける兵力を減らさせるために、呉に対しては返還を求められていた荊州の一部と引き換えに合肥への出兵要請をした(そして呉はそれを受け入れた)上に、呉の兵糧をかっさらった。かっさらいは正史にも書いてあることながら時期がちょっと違う)ですが、むしろあれに近いのが事実ではないかというのが自分の考えです。ともあれ、今回の本は今まで買ってきた宮城谷さんの本の中では、我が神関連の件があったことから一番すっきりしない本ではありますが、宮城谷さんの評価の基準が分かったという点では貴重なものとなっています。

 次回も同じ本の感想と書くこととします。〆は一昨日仕上げたイラストを掲載。8エンパでエディットする可能性が高い「都久」というキャラで、三國6エンパでの初登場時は「都久夫須麻」という名前でした。つまり、竹生島の龍神をモチーフにしたキャラで、なぜこの神かというと、自分が大学時代初めて仕舞を演じた神物の主人公だからです。「都久」となったのは、「三國志13」で再度出すときに中国的な名前に変える作業をしたためで、字は「耽龍」としました。「龍」はともかく「耽」なのは、6エンパで作成時に声のタイプを耽美タイプにしたためです。但し実際は「耽美」というより「甘美」に近かったということは、こちらのブログにも書いたような。ともあれ、昨年9月に一度イラストを載せたことのあるキャラですが、今回またちょっと描いてみました。それでは今回はこの辺で。




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