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13.5.21

現代版は起きるか

  台風3号ができる気配ありというニュースを見たので、早速GPV Weatherを確認しましたが、現時点ではどうも西の方面へ直行の予想のようです。ただまあ一応気にはしておこうかという。台風の時期になると、台風関連のサイトをすぐ見られるようにいくつもタブを開いておかないといけないのが若干厄介です。

 さて、昨晩はYahooニュースで、茨城県知事の発言のニュースとインドを含めた3か国からの入国原則拒否のニュースにすさまじい勢いでコメントがついておりました。後者はもう、はあ、という話で、前者は、幕末史を専門とした自分は、面白いなあと思いました。会津もですが、水戸にも水戸志士魂が残っているのかなと。井伊直弼については、視点によってはめちゃくちゃ悪人扱いされることがありますが、自分が子ども時代の新撰組と同じ(少しでも怪しい人物は斬れと言わせている本もあるくらい多くは殺人集団扱い。でも本当は…。最近は大分評価が変わりましたが、自分は今の政治体制が変わったら、さらに一気に評価が逆転するところではないかなと思っております)で、このあたりは何とも複雑なところはあります。ただ、あまりひどいようなら現代版桜田門外の変が起きかねんなという気も、ニュースを読みながらしました。島根の聖火リレーの件も様なことがまた起きるかというコメントもありましたが、さて。前も書きましたが、イラストを描くとき目にこだわる自分としては、菅氏の目は個人的には独裁者の目にしか見えませんからねえ…。

 イラストは、レアキャラというわけでもないからか、思ったより順調に今のところは(ここ大事(汗))着色できております。一番の山場は髪、次に服ですね…。今回は前回の我が神と違ってバックの色が淡いので、ごまかしがききやすい(え)のが楽です。前回はほんとうにいろいろとあれでした…。あのような厳しい表情はたまに無性に描きたくはなるのですが。将来着色予定の「最終形態」我が神も、同じ感じでいく予定ではあります。何度も書く様ですが、そちらは下描きでお見せした通りすでに衣装を描きこんであるため、生首にはなりませんのでご安心を(汗)。では今回はこの辺で。

25.12.20

いつの間にかまたとんでもないものが

 当地の週間天気予報、ついに雪のマークが出たり出なかったりになりました。気温が気温なので降ってもおかしくはありませんが。元日は降っても構いませんが、大みそかはちょっと降ってほしくないかなあなどと勝手なことを考えております。 

 前回のブログの下書きを終えてから、ひょんなことで「新解釈・三國志」という映画が公開されていることを知りました。早速公式サイトを見てみましたが、見た目はそこまですっ飛んだ感じではなさそうで、シナリオがあれなのかなと。配役も貂蝉は「何かキター」でしたが、劉備と言い周瑜と言い、多くは普通というか、個人的には見た目なかなかではという感じでした。一番気に入ったのは呂布ですかね。ただ自分、テレビドラマを全然見ない関係で、普段どの俳優さんがどういう役をされているのかをとんと知らないので、実はこういうキャラ色にしてあるんですよという方面のびっくり度はさっぱりわかりません。シナリオが赤壁までということなので、魯粛は出てきていますが個人的には幸いというか、わが神である呂蒙はお出ましでないようです。自分としては、正史に基づいた呉中心の映画やドラマでない限り、呂蒙は映像では見たくないですね。何せ人形劇でえらいことをされましたし、以前雑誌シリーズになった中国のドラマでもえらいことになっておりましたし。この2つの仕打ちは自分、絶対に忘れませんし許せません&許しません。ともあれ、この映画も自分は見る予定はありません。この映画での各武将の扱いが怖いからというわけではなく、そもそも映画を見ないからという単純な理由からです。世情的にというわけではなく、もともと映画が苦手なんです。理由は以前書いたかどうか忘れましたが改めて書くと、音が大きすぎるから。自分音楽を14年間やっていた身ではありますが、大きい音は好きではなく、映画館のあの音は苦痛なんですね…。かといってレンタルしてまで見たいものでもないなあという話で。それに自分どこの店のレンタル会員でもありませんし。本当に見たいものは買って何度も見たい派なんですね。昔の年末大型時代劇の「白虎隊」や「五稜郭」のように。

 幕末が絡んだのでついでにというのも何ですが、最近の政治家がのほほんとしているのは、何をやってもいろいろな意味で安泰だからではないかなあという気がしますね。自分は卒論が勝海舟でしたが、彼も何度か暗殺されかけているように、幕末は皆余程の覚悟を持って事に当たっていたわけです。今の政治家はそれと比べると…という。さすがに春秋戦国ほど君主であろうが重鎮であろうがポンポン殺されるのはどうかと思いますが、あまりなことをしていたらそのうち本当に国民、きれますよと。さらにちょっと話がずれてしまって恐縮ですが、今日春秋戦国がらみの本を検索していたら鄭問さんの本が出てきて、そのまま色々調べていったら、日本の『鄭問画集 鄭問之三國志』の台灣版があるのを知ってびっくり。日本語版の内容に加えて武将の解説があるらしいのですが、中国語なので読めるやら…。電子書籍で1785円ですので日本語版に比べたら格段に安いですが、カラーかどうかが不明なのとサイズに制限があるのも難点と言えば難点。ただ中国語が理解できてイラストもそれなりに見たい(少なくとも攻略本よりはしっかりしたものを見ることができますので)ということであれば、台灣版でも十分なのではないかという気がしますね。ということで三國志に始まり三國志に収まったところで、今回はこの辺で。

6.11.09

関ヶ原・垂井・長浜紀行 9

 今回で旅行記そのものはお仕舞いになります。
 長浜を出て急いで垂井に舞い戻ったわけですが、帰る新幹線の時間だけは変えられないので残った時間をめいいっぱいうまく使わないとということで、結構あせりました。で、もうこの時間はレンタサイクルは無理なので、タクシーで一気に菁莪記念館に行きました。ちなみにこれは駅前の観光案内所(兼レンタサイクル貸し出し)の案内看板…

 この記念館はガイドブックに載っている開館時間でも鍵がかかっていることがあります。そのときは隣の岩手公民館に行ってあけてもらわないといけません。このときも宿直の人にお願いして開けてもらいました。この方がまた少し説明をしてくださったのですが、どうも菩提山城は重門が幕府の許可をもらって陣屋を建てた後はあまり使われていなかったよう。ちなみに今回手に入れた書物のひとつによると、菩提山城は幕末の動乱時赤報隊によって焼かれてしまったそうです。赤報隊はあの相楽総三によって率いられた明治政府側(okamelは理念上、会津地方でかかれる歴史書同様明治政府側を「西軍」、幕府側を「東軍」と呼ぶ人間ですが、今回の旅行では関ヶ原が絡んでいてややこしくなるのを防ぐため、あえて今回はこう呼びます)の部隊で、後に偽官軍とされて総三は処刑されます。これを知るまでは赤報隊も薩長(というより多分長州でしょうかね)に翻弄された人たちのひとつと思っていましたが、また複雑な思いが増えました。焼く必要、あったのですかね。その地域のシンボルを壊すことで士気をそごうとでも思ったのか。
 で、ここで前々回載せた、禅幢寺のおばあさんのお話のひとつである黒田家の幕末動乱後の竹中家復興運動のことを思い出していただきたいのですが、宿直さんはまた別の話をしてくださいました。この菁莪記念館はもともと菁莪学校という藩校跡を利用したものなのですが、そこの出身者に神田孝平という人がいます。この人は男爵にまでなった人なのですが、伊藤博文に竹中家の復興を懇願したそうで、それで処断前は5000石だったのを500石ということで存続を許されたとか。ちなみにそのころの5000石は今の18億円に相当するそうです。
 あと、竹中陣屋の石垣は向かって左側と右側では築かれた時代が違い、左側は(確か)明治、右は江戸期のものなので、微妙に石の組み方が違うのだと教えてくれました。赤報隊は陣屋も攻撃しているので、そのときに左側はやられたのでしょうか。ともあれ、記念館を出たあと両側の石垣を見比べて見ましたが、確かに違いました。いわれないと気づかないokamelもなにやら。以下は菁莪記念館と、内部のうち資料(竹中家の家計図や竹中家について書かれた書物などのコピー、また菁莪学校で使われた教科書など)が展示されているエリアの写真です。外の写真は、出たときすでに17時30分過ぎでしたのでもうかなり暗くなっている中撮っているため、今までの写真と比べると少し色合いが違います。



 そして垂井駅を最後に去る瞬間がついに来てしまったわけですが、列車に乗るまであの半兵衛さんの看板に背を向けることができなかったし、何よりあの看板、見ていただくとお分かりかと思いますが(今回の旅行記には載せていませんが、Wikiで半兵衛さんを検索していただくとオリジナルを見ることができます)、関ヶ原方向に顔が向いているので、何となく見送られているような感じになる。列車が来てドアが閉まった瞬間の気持ちは今でも忘れられません。涙が目からあふれないように一生懸命閉じたのを今でも覚えています(そして今、これを書きながら涙を流しているokamelです)。
 okamelは転勤族育ちなので、故郷がありません(生まれたところもすぐ離れています)。そして長く住んだからと言ってそこに親近感を持つというものでもありません。実際、以前住んでいたところは10年いましたが、まったくこれといった感情を持つことはなかったです。でも、不思議と垂井は違うんです。これで計3回垂井を訪れたことになるのですが、そこにある風景が何となくすごく懐かしい。山も、川も、空気も。1日目に菁莪記念館でお話した臨時さんがokamelの言葉を聴いて「きっと何か縁があるのでしょうね」と言われましたが、そうであってほしいと思います。
 この最終回を書くだけでもちょっと勇気を要したので、延び延びになってすみませんでしたが、これで旅行の過程を書くのはお仕舞いといたします。次回は今回の旅行で集めまくったものを紹介していこうかと。買ったものやパンフと言った感じです。